USCPA

自己紹介

本ブログを訪問くださりありがとうございます。よっそ(Yosso)と申します。

2018年の僕の一つの目標として、ブログを通して、USCPA(米国公認会計士)の受験体験、英語学習方法、IT、会計などの役に立つ情報や個人的に気になったトピックを発信していきたいと思います。

2017年12月にUSCPAを全科目合格したところですので、当面の間は、USCPAの受験体験について、まとめを書いて行けたらと思います。

今回の投稿では、僕について自己紹介をしたいと思います。

学生時代

偏差値43の高校から立命館大学へ

僕の通っていた高校は、総合学科という看護科目・教養科目・工業科目などが自由に選択できる学校でした。

進学校に通っていた人にとって、珍しいと感じると思いますが、作業服へ着替えて、授業で溶接などの授業がある学校です。

偏差値43の総合学科の高校だと、国公立の大学へ進学できる人は学年約200名あたりで数名、大学への進学は1割弱、地元の短大や専門学校への指定校進学が4割強、就職が半分といった感じである。

ちなみに、センター試験を受けたのが私の時はわずか4名(ちなみに記念受験が2名)、つまりわずか2%が入試を受けて進学すると衝撃的な環境であった。

当時の私は、特に大学に進学する気もなく、学校が一番近いからという理由で、高校を選びました。恥ずかしながら、中学時代に受験勉強をした記憶がない。

一方で、非常に可笑しな話だが「勉強はやればできるけど、僕はやらないだけだから」と周りに公言していた。勉強したことないくせに口だけは達者であった。

そんな僕が大学を目指したのは、本当に些細な動機でした。高校3年になり、仲のよかった他校の友達が、大学受験で塾に通うから一緒に塾で勉強しようと誘われたことがきっかけだ。

そこは個別指導の塾であり、1対1での授業を受けるのだが、そこの先生とたまたま気が合って、本気で勉強したいと思ったのがきっかけで高3の夏から受験勉強を始めた。

高校3年の夏の僕の学力は、模試で偏差値40~45くらいだったはずである。

英語の授業でbe動詞・助動詞の使い方から怪しいという状況であった。たしか中学1年から英語はほとんど赤点しか取ったことがない。

そんなこんなで大学受験に挑戦した。

結果は、まあ、当然のことながら、1年留年しました(泣)

ちなみに、その学校から自分で勉強で関関同立クラスに受かった生徒(浪人生含む)はその高校史上で初のできことであったらしい。また余談だが、私立を受けるのに、7科目勉強していたのはここだけの話である。

苦学生だった大学・大学院時代

大学入学から1ヶ月後、父に仕事を発注してくれていた親会社が倒産し、私立理系大学に進学直後に、今後の金銭的な支援がないことが確定した。所謂、ありきたりな「父さん倒産した」と言う話である。※ダジャレですみません。

そのため、入学直後からアルバイト・学業・部活の両立を余儀なくされることになりました。

大体、月々の生活は以下のような感じで、奨学金1種・2種併用とアルバイトで何とかギリギリ生活していける状況でした。

【収入】奨学金1種・2種併用 約16万円/月+アルバイト 8万円/月

【支出】学費 約150万円/月+家賃・生活費 10万円/月

アルバイトを週3、部活に週3~4で参加し、隙間時間で勉強をするという生活を3年間送り、大学4回生からアルバイトを辞めて研究に専念しました。

部活では、高校の時から憧れの部活だったところで、3回生時に副部長として、部活に貢献できた今でも一つに良い思い出になりました。でも、アルバイトと学業が忙しく、本気で部活に時間を割く時間がなかったことが、今でも一つ心残りです。

学部時代は、学費減額(免除)を数回、大学院は学費半額免除と運良く大学からサポートを頂けたこと、また、親から年に1、2回少しだけ仕送りを貰えたため、何とか卒業・修了できました。最終的に、大学院に修士論文優秀賞を取り、表彰され修了することができました。

もちろん、あり得ない額の借金を背負って新社会人になりました(泣)

借金11,712,000円+利子固定3%(2,320,218円)= 借金計 14,032,218円

新卒時代

化学・生物系からIT業界へキャリアチェンジ

皆さんは、 どういった基準で自分のキャリアを決めましたか?

僕が大学生だったころ、「研究者に漠然となりたい」と思っていましたが、就活を始めるまでは、具体的なイメージが持てませんでした。

就活開始当初、化学・生物系の大学院生だったため、当然、食品・化学系の会社を中心に研究職希望で就職活動を行っていましたが、この会社に絶対入ってやるという気持ちにはなぜかなりませんでした。

IT業界にキャリアチェンジしようと思ったのは、たまたま合同説明会で時間が空き、後輩が内定を貰っていたNTT系列の説明会に参加したのがきっかけです。

※ちなみにNTT系列の会社に入ったわけではないですよ!

IT業界が社会に与えている影響について、初めて知り、「社会へ貢献していくためにITは不可欠だ」と感じた。また、生物・化学にITに関する技術は不可欠で、生物・化学の研究が飛躍的に進むためには、ITの発展は欠かせないと感じるようになった。

当時、リーマンショック後の就職氷河期で、就職内定率が底冷えしていた。理系ではあるが、分野が違うため学校推薦などは全く使えず、自由応募からの応募となった。

約40倍の倍率をくぐり抜けることができ、何とか第一志望の有名会社から内定を勝ち取ることができた。

IT業界での3年半の経験

新卒で入社し、やはり実感したところは、教育が非常にしっかりしており、ITのバックグラウンドがない新社会人への新人教育は本当にありがたかった。前職の仕事関係の話は、別途、説明したいと思う。

インフラ系の部署に配属された僕は、配属後3年弱の間に、偶然が重なり実質的に3つの部署での業務に携わることになった。ちなみに僕のケースは、非常にまれだと思います。通常は、部署間の異動はそんなにありません。

3つの部署で経験を積めたことは、非常に今でもありがたく思っています。

3つの部署の内、僕の場合、運良くインターナショナルなプロジェクトにアサインされ、業務の内、3、4割ほど英語を使うような経験を早い内に積むことができました。

たまたま、入社当初に受けたTOEIC-IPの結果が良く、比較的に早い段階で英語を使う機会が巡ってきました。

実は、会社に入った当初は、まったく英語がしゃべれませんでした。

所謂、TOEIC英語しかできないような状況で、このアサインされたプロジェクトでは、本当に英語ができず、人生の中で初めて英語ができず、本気で悔しい思いをしました。

海外で働きたいと思うようになったのは、このプロジェクトで通じて、「海外で本当に通用するにはどうすればいいのか」と自分自身に対して、問題意識を持つようになったからだと思います。

現在の当面の目標は、「アジアを舞台に自由にアイデアを発想して、グローバルでアクションしていける人材」になることです。

海外就職

フィリピン留学

フィリピンの遺跡

僕は、実はこれまで、合計5回フィリピン留学をしているフィリピン留学マニアです。

といっても、長期留学(7ヶ月)したのが一回だけ!残りの4回は1週間~2週間の超短期留学だけです。大学卒業時に2週間の留学を1回して、それから頭を下げて有給を何とか取得して、前職を在職の時に合計3回の語学留学をしました。前職を退職後、合計7ヶ月の長期留学をして、海外で働くために必要な英語力を身につけました。

もちろんフィリピン留学したのも、アジアで働いてみようと思うきっかけになりました。

フィリピン留学についても、今後、簡単なまとめをしていきたいと思います。

アジアへの挑戦と挫折

シンガポール夜景

前職を退職し、フィリピン留学を4ヶ月したところで、シンガポールで海外就職を試みたのですが、完全に失敗しました。

<海外転職失敗の原因>

  • スキルセットの不足
  • 現地採用向けのIT人材へのビザ問題

一つの原因は、海外(シンガポール)でIT系の専門職に就こうと思った場合、自分の職歴の中で、コアとなるスキルセットが不足していたのが原因です。

幅広い経験はあったものの全て中途半端、海外では日本のIT産業のように、プリセールス、プロジェクトマネージャー、保守・運用まで何でもやるようなJob Discriptionが不明確なポジションはありません。

言い方は悪いですが、海外ではITベンダーの発注元(親会社)で必要となるようなポジションは非常に潰しが効きにくいです。発注元に求められる技術力は、ITの純粋な専門性ではなく、コミュニケーションスキルの方が比重が高いためです。

そのため、海外でシステムエンジニアとして、専門性を高めて行くには、開発経験やある特定領域に特化した経験(例えばネットワークなど)の方が遙かにキャリアを築きやすいです。

また、シンガポールはビザの発給要件が2017年から厳しくなり、特にIT系への人材は基本的に自国のシンガポール人を優先させる方針になったためです。

転職エージェントによると、シンガポールの転職エージェントの中では、IT系を担当する部署自体がなくなるケースが出てきているようです。

上記のような理由により、残念ながら、専門性を高めながら海外でキャリアを築いていくために、「ITコンサルタント」または「システムエンジニア」としてシンガポールで働く機会をいただくことはできませんでした。

ちなみに、IT系の海外営業としては、企業側にも需要があるようでしたが、海外営業は当初から選択肢として考えていなかったので辞退しました。

USCPA(米国公認会計士)への挑戦

USCPA(米国公認会計士)

僕の中で人生が変わる一つのきっかけになったのが、USCPA(米国公認会計士)という資格です。

以下のような観点から、USCPAは今の僕にうってつけの資格だと感じました。

  • 特定の領域に専門性を持つ
  • ビジネスレベルの英語を身につける

シンガポールでの転職に失敗した僕は、フィリピン留学の期間を4ヶ月⇒7ヶ月に延長して、自分のキャリアをもう一度考え直しながら、継続して英語のブラッシュアップをしていました。

前職時に、社会人としての教養として、簿記3級を取得したのですが、その際に会計にも興味を持っていました。

というのは、前職でシステムエンジニアとして、開発経験や特定のITスキルが不足しているのは以前から認識していました。

流石に、シンガポールで1社からもオファーが貰えないとは思っていませんでした。

これまでプロジェクトマネージャーや上流コンサルタントに近い業務を行っていたので、将来的にはコンサルタントも一つのキャリアとして考えていました。

コンサルタントになるためには、ITスキルも重要ですが、他に業務の理解が不可欠であることも常々感じる出来事がありました。そして、グローバルでのキャリアを考えた場合、国際標準化が進んでいる会計領域というのは、非常に魅力を感じました。

また、僕の英語力について、フィリピン留学だけでは、欧米圏で長期留学されている方やビジネスで長期間英語を使用してきた方と比較すると、かなり見劣りするだろうと感じていました。

これまでの英語学習方法では、これ以上の上達も感じられず、自分の英語力への限界を感じていました。

そんなときに英語で専門知識を身につけられるUSCPAに運命的なものを感じました。

フィリピン留学後にUSCPA短期合格を目指し、2017年5月より本格的に学習をスタートし、2017年12月に全四科目を合格しました。

ちなみにフィリピン留学での投資したお金、USCPAの受験費用は合計300万円を超え、僕の新卒時代で必死に貯めた貯金は、底をついてしまいました(泣)

タイ(バンコク)での転職活動

タイ・バンコクの風景

そして、 2018年1月より、タイ(バンコク)で海外就職のリベンジします。

今度こそ必ず内定を勝ち取ります!

ちなみに、奨学金の返済は今は猶予しているのですが、借金を返済しながら現地採用として暮らしていける月給が貰えない場合、アジアでの就職は完全撤退することになりそうです。

まさに背水の陣!

最後に

最後までご一読いただいたみなさん。ありがとうございました。

これから皆さんに有益な情報を発信していければと思います。

2018/7/1 追記

タイ(バンコク)での海外就職についての記事を以下にまとめました。

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